2017年5月21日のことです。目を開けると、視界がおかしい。右目の上部に膜がかかったかのように視界が狭くなっています。
(いや、これは気のせいだ、明日になれば治ってるさ)
一生懸命に気休めを自分に言ってみますが、日ごとにどんどん視界が狭くなっていく。
最終的には視界中央部に歪みも加わり、とても普通ではない状態になりました。
まずい、本当にまずい。これはきっと何かが起きている。
絶望
通っていたクリニックの先生に話をして、東京大学付属病院を紹介していただくことになりました。
6月8日、東大病院の呼吸器内科へ行きました
呼吸器内科のA先生は、僕の考え方・今までの方針や治療もきちんと理解してくれたうえで、CT画像を見ながら言いました。
「肺がんもかなり進んでいますし、肝臓にも転移していますが、いますぐどうこうのレベルではありません。が・・・」
「が・・・?」
「問題は脳転移です。ほら、ここです」
「この薄く色の付いているところに浮腫があります」
「浮腫?」
「ああ、すいません。腫れているということです。これだけ大きく腫れていると、相当大きい腫瘍が考えられます」
「と、いいますと?」
「浮腫が5センチ以上ありますから、少なくとも3センチくらいの腫瘍が考えられますし、もっと詳細に調べてみると他にもあるかもしれません」
「・・・・・・」
「脳は危険なところです。これだけの大きさだと、今すぐに入院しないと危険です。急に手や足が動かなくなったり、呼吸が止まることも可能性としては、あります」
「・・・・・・」
それでも入院をしぶっている僕に
「医者が100人いるとすれば、100人がすぐに入院を勧めるレベルです」
「真剣に入院を考えてください」
血液検査のためにいったん席を外して、30分後にまたドクターと相談することになりました。
僕と同行した妻は途方に暮れました。
「これは、入院しなきゃだよね」
「うん、そうだね」
二人とも言葉に詰まります。
これは、いったいなんなのか?
そして、分かったこと。
今までやってきたことは、全て無駄だった・・・
僕はがんばった。
やれることは、全部やった。
ベストを尽くして、これまで生きてきた中でも「これでもか」ってくらいがんばった。命を賭けて、全力でがんばった。でも、ダメだった。全力を尽くしたけれど、完敗した。
これでもう、やれること(Do)はなくなった・・・。もうおしまい。
分かれ道
しかし、全力を尽くした爽快感というか、自分がもうやることはなくなったという脱力感かわかりませんが、不思議なことになぜかとっても気持ちが良かったのです。
『運命は、いったい俺をどこに連れて行こうとしているのか?』
僕はとてもリラックスした気持ちで、病院の天井を見上げました。
結局、病院のベッドが空き次第、入院することになりました。
夜明けが来る前に徹底的に闇を経験しないと、本当の夜明けはやってきません。
しかし、これが僕の人生最大転機だったのです。
僕は出来ること、やれることは全て徹底的に行動しました。とにかく自分が納得するまで徹底的にやりました。しかし、状況はどんどん悪くなっていきました。
これは、いよいよ次の段階へ進む時期だということなのです。
「自分のやり方」を「自分の考え」を「自分のコントロール」を手放せ、というメッセージだったのです。
それには、「結局、何をしても無駄だった」と自我(エゴ)の無力さを悟ることが必要不可欠だったのです。
魂からの最後通告
『抵抗をやめよ。コントロールをやめよ。“考え”や“やり方”を手放せ。自分を明け渡すのだ』
「自我(エゴ)」の無力を徹底的に悟ることで、やっと「自我(エゴ)」のしがみつきを捨てられたのです。
「もう何も考えられない(思考)」
「もう何も出来ない(行動)」
どん詰まり状態になって初めて、自我(エゴ)を捨て『明け渡す/サレンダー(任せる)』することができるようになったのです。
ここが大いなる分かれ道でした。
結局、自分を手放せずに「自我(エゴ)」の枠の中で絶望、恐怖し、ネガティブスパイラルの中で弱っていくのか、
「自我(エゴ)」を手放して「自我(エゴ)を超えた大いなる存在」に身を任せる道をたどるのか、という分岐点だったのです。
自我(エゴ)を手放し、自分という存在を明け渡したとき、ちっぽけな自分の思考や行動を超えた「なにか大きな流れ」が起きはじめたのです。
「もう、何もしません」
「もう何も考えません」
「もう、じたばたしません」
「あとは煮るなり焼くなり、お任せします」
「神様、もうお好きなように僕をどこにでも連れて行ってください」
なぜか、僕の口元にには微笑が浮かびました。
「さぁ~、運命は俺をどこに連れて行ってくれるのだろう?」
なぜか、少しワクワクした気持ちになりました。そのとき、そばにいた長男が言いました。
「もう、楽しむしかないよ、父さん」
そうだ、もう、楽しむしかない。
「人生」が僕をどこへ連れて行くのか分からないけど、楽しむことは出来る。
仮にあと少ししか生きる時間なくても、残りの時間を徹底的に楽しもう。絶望、あきらめといったネガティブな気持ちはいっさいありません。頑張りに頑張ってきた緊張が解け、リラックスして楽になりました。
病気と戦わない。
癌と戦わない。
人生と戦わない。
そして、明け渡し/サレンダーをしたことで、僕の人生が大きくダイナミックに動き始めたのです。
奇跡
それは入院して10日後の2107年6月23日の夜のことでした。
病棟担当のF先生が僕のベッドに嬉しそうに微笑みながらやってきました。
「刀根さん、生検(細胞を調べる検査)の結果がほぼ、でまして・・・・」
「あ、はい」
「刀根さんの遺伝子にALK(アルク)が見つかりました。まだ最終チェックしてますが、ほぼ、間違いないと思われます」
「ALKの分子標的薬のお薬が使えそうです!」
ALKは正式名称ALK融合遺伝子といって、非小細胞ガンで腺癌の約4%の人しか適合しない非常に珍しいものです。
このALK融合遺伝子じたいは「横綱遺伝子」と呼ばれ、非常に増殖力の強いものなのですが、これに対しての分子標的薬が開発されていたのです。分子標的薬とは最新の抗がん剤で、特定の遺伝子にのみ効果を発し、副作用が少ないと言われている薬です。
そして、その分子標的薬「アレセンサ」は、非常に効果の高い薬で、広がったがん細胞をあっという間に消し、そして押さえ込むと言われていた薬だったのです。
「やった!」
思わず、ガッツ・ポーズ!
そして、次に・・・・よし、来たな! という感覚。
来ることを知っていた、みたいな・・・・来て、あたり前、みたいな・・・・
こうなることを、前から知っていた、みたいな・・・・
この薬に適合する人は非常に少なく、僕の病棟担当のT先生は僕で二人目とのこと。
「分子標的薬を、引き寄せた!」
しかも、後日詳細説明を聞いてみると、僕の遺伝子が50個採取できて、その50個の中にALK遺伝子が何個入っているか数えてみると・・・・・
なんと、50個!
適合率100%!
「非常に珍しいです」と、ドクター。
僕は「治る」という確信だけ持っていました。どのように、という部分は、全てお任せの状態でした。ALKのことはすっかり忘れていたのです。確かにこの分子標的薬だけでは治らないかもしれません。
しかし、身体中にガンが広がった現状を大きく改善してくれるお薬であることは間違いありませんでした。
なぜ、そんな確信を持てたのか?
それは、様々な段階を経て“明け渡し/サレンダー”にたどり着き、ネガティブ/ポジティブの二元性を超え、絶対的安定である一元性にたどり着いたこと。この安定が『確信』を連れてきたのです。
なぜか根拠のない確信が湧いてくる。
「僕は絶対に治る」
この確信が分子標的薬を連れてきた。
運がいい、とか思い込み、とか気のせい、とか迷信とか、いろいろな意見があるでしょう。しかし、死を目前にした人間というのは、科学や理屈を超えたものを感じたり、体験したりすることがあるのだと、僕は思います。
やはり、自分の発する存在エネルギーが大切。そして、意図を明確にすることが、大切。
高い波動と明確な意図で、もっとも適したものが、引き寄せられる。
僕は、自分の中でこの経験を経て、そう『確信』したのでした。
全ては“自分の在りよう”がまず最初だ、と。
やはり、
Be(存在)⇒Have(結果)
Be(存在)が最初。
Be(存在)がすべてを作り出す。
僕は今では、そう思っています。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。