癌になると『死』を意識せざるを得ない。
『死』を意識るする、ということはすなわち『生』を問われる、ということ。
癌になるまで、その人がどんな人生のストーリーを持っていようと、どんなに財産を持っていようと、どんなに都心の一等地に住んでいようと、どんなに社会的ステイタスを持っていようと、あるいは、その逆であろうと、そんなものは関係なく、癌は問う。
「あなたは、いったい、どんな人間なんですか?」
癌は、人が自分を守るために身にまとった、あるいは、自分を飾り立てるために着飾った鎧や装束を全て剥ぎ取っていく。
恐怖におののき、狼狽して『恐れ』に飲み込まれてしまう人間なのか。
絶望的な状況にも『勇気』を持って立ち向かっていく人間なのか。
癌は、問いかける。
「あなたは、いったい、どんな人間なんですか?」
でも、それは誰でもいずれ問われること。
自分の「死」を意識したとき誰にでもやってくる「問いかけ」。
それを意識があるうちに、気づかせてくれる。
運命の日
2016年9月1日のことでした。
都内の某大学病院のドクターは僕のCT画像やペット検査の画像を指差しながら、こう言った。
「ここが原発の肺がんです。これ自体はそれほど大きいものではありません」
そのCT画像には約2センチほどの白い塊が写っていた。
「しかし、ここに転移しています。ここは肺門と呼ばれるところです」
続いてドクターは無表情に、左右で明らかに大きさが違う肺の中の白い塊を指差す。
「この左側の肺のリンパ節も腫れていまして、これも転移です。リンパに転移している段階でステージは3となります」
さらにPET画像の淡く緑色に光っているところを指差した。
「肋骨にも転移が見られます。骨転移です。1、2、3・・・」
数字を読み上げながら、画面を指さす。そして目の前に四本の指を立てた。
「ステージ4です」
なぜだ。なぜ、僕がステージ4の肺がんに?
僕の人生は完ぺきとは言わないけど、すべてがうまくいっていたはず。健康には自信があったし、体力だって人一倍あるつもりだった。
その僕がなぜ?
僕はつとめて冷静になろうと努力した。問題に対する対策、これが一番重要だ。今までも何か問題が起きるたびにすぐに対策を立て対処し解決してきた。そうやって人生をコントロールし、乗り越えてきた。それは僕の得意分野の一つだった。
ドクターの後ろに立っていた若い男性の研修医が、何とも言えない表情で僕を見つめている。まるで死んでいく人を見つめるように。
僕は聞いた。
「1年生存率は?」
ドクターは気の毒そうに答えた。
「30%です」
身体には実感がなかった。
僕は他人から頭ごなしに何か言われると言い返したくなる性分もあって、ドクターに強気に言った。
「30%もあれば充分です。3割に入るのなんて簡単ですから。僕は治ります」
今から思い返すと、現実を受け入れるのが恐かったのかもしれません。
しかし、ドクターはすぐさま、矢継ぎ早に言葉をつづけた。
「いや、3割というのは治った人ではありません。治療しながら生存している人の%です」
「でも、僕は完治しますから」
「いやいや、刀根さん、残念ですが肺がんは『癌』のなかでも難しい癌なのです」
「・・・と言うと?」
「あなたの病気は進行性の肺腺癌です。そして手術は不可能です。リンパや骨に転移している状態ですから、逆に手術はしない方がいいと思います。体力が落ちるだけです」
「放射線治療も同じです。全身に放射線を当てるわけにはいきませんから。そんなことをしたら身体がもちません」
「残された手段は“抗がん剤”になります。したがって、今後の治療は抗がん剤で行っていきます」
「あなたの遺伝子を調べたところ、EGFR遺伝子変異は陰性ですので、分子標的薬のイレッサは使えません。ALK遺伝子は調べるのに少し時間がかかります」
「肺がんは抗がん剤が効きにくい癌です。こちらとしましては過去データからあなたに効くであろうと思われる抗がん剤から試していくことになりますが、効くかどうかはやってみないとわかりません」
「効果を示す率は約40%です」
4割しか効果がないのか・・・・僕は聞き返した。
「と言うと、60%は効かない、ということですか?」
ドクターは丁寧に答えた。
「そうです。そして、もし効いたとしても癌は必ず耐性を持ちますので、いずれ効かなくなります。そうしましたら、また次の抗がん剤を試す、そうやっていくしかないんです」
そう言ってため息をついた。それは彼が助けようとして助けられなかった過去の患者たちに対する無力感のようだった。
(ってことは、抗がん剤が効かなくなって死ぬか、抗がん剤の副作用で死ぬか、どっちかしかない?)
(それも、1年以内、70%の確率で?)
「とりあえず今回はこれくらいにして、次回は今後の治療方針について話し合いましょう」
伝えた事実の重さを考慮してか、この日は診断結果のみでした。
僕は別れ際にもう一度、念を押すようにドクターに言いました。
「でも、僕は完治しますから」僕はその事実を受け入れたくはなかったのです。
ドクターは苦い笑いを浮かべましたが、何も言いませんでした。
病院の暗い廊下や、古い長椅子の薄くなったクッション、咳き込んでいる人たちの雰囲気を、僕は一生忘れることができないでしょう。
この日を境に、僕の人生が音をたてて変わりました。
夜、帰宅して心配していた妻に伝えたところ、彼女は僕に抱きついて泣きました。
最終的に僕はこの大学病院に不信感を持ち、治療を断って代替医療とサプリメントで治療をすることを決めました。
自分の癌は自分で治してやる、そう心に誓って全精力を賭けて治療に取り組んだのです。
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