
僕は自分がいつか“死ぬ”ということを“知って”いました。
しかし、それは“いつか”であって、ましてや今日や明日という身近なものではありませんでした。
今までいつか来るであろう“死”について、自分なりの準備と理解をしてきたつもりでした。
準備とは「後悔しない人生を送る」ことであり、理解とは死についての書籍を片っ端から読みあさることでした。
しかし、実際に自分が“死”に直面してみると、そういったことはあまり役に立たなかったのです。死を「理解」することと「体験」することは、まったくの別物だったのです。
「死」に追われる日々
自転車の乗り方を頭で理解しても、乗れないのと同じことです。
“死”が唐突に、目前に突きつけられたとき、たくわえた知識など何のなぐさめにもならなかったのです。
癌宣告をされた夜、部屋を暗くして布団に入ると“恐怖”がおそってきました。
起きていて何か行動をしていればそちらで気がまぎれ“恐怖”を体験することは少なくなりますが、布団に入ってしまうと気をまぎらわすことがありません。
今まで意識下に押さえ込んでいて感じなかった“恐怖”が思考となってジェットコースターのように暴走を始めます。
今日会ったドクターの顔や表情が浮かび上がり、言葉が頭の中リフレインして響きわたります。
「あなたはステージ4です・・」
「残念ですが・・・・」
「1年生存率は3割です」
「抗がん剤治療しか方法がありません」
「あなたは延命治療しかできません。治りません」
「肺がんはガンの中でも難しいのです」
そして、僕自身の声が響きだします。
「僕は死ぬんだろうか?」
「本当に死ぬのか?」
「死ぬって、どういうことだろう?」
「死んだら、どうなるんだろう?」
「死んだら、消えてしまうのか?」
「消えるってどういうことなんだろう?」
それは“恐怖”そのものでした。
消滅の恐怖。無の恐怖。
自分の存在が消えてしまうことの恐怖です。
漆黒の闇の中に吸い込まれていくような、底なしの暗い穴に落ちていくような、頭も身体もぐるぐる回りながら底なしの闇に落ちていくような感じです。
これは“死の思考”にとりつかれた状態。
頭を抱えて布団の中をゴロゴロしているうちに、窓の外が明るくなってきました。
その日は結局、一睡も出来ませんでした。明るくなった窓を見ながら思いました。
毎晩こうなるんじゃ、たまらない。今晩、眠れるだろうか? 夜になるのが怖い。
心の変化
その後、僕の心に顕著な変化が訪れました。
①未来が想像できなくなる
せいぜい想像出来るのは1ヶ月先までです。3ヶ月先は生きていることが全く想像出来ませんでした。
癌宣告された9月は年内のことは全く想像できず、ふと気づくと
「年内、生きているかな? 生きて年越し出来るかな?」
と考えていました。年を越すと
「桜は見れないだろうな」
見たいスポーツイベントや試合が決まったときも
「生きてるかな? 見れるかな?」
見ていたドラマの続編が3月末に終わり、続編が11月から始まるとの情報にも
「11月じゃ、見れないな・・・たぶん」
見ていたアニメの終了が6月じゃなくて9月いっぱいだと知ったときも
「最後まで見れないのか・・・」
当時大学3年生だった長男の就職活動用のスーツを買いに行ったときも
「ああ、彼が社会人になる姿は見れないんだな・・・」
何とも言えない寂しい思いが湧き出して、涙が出ました。
②なんで自分なんだろう?
電車の中で不健康そうに太ったり、明らかに顔色が悪かったりする人を見るたびに、どうしてこの人ではなく、僕なんだろう?
嫉妬や不快感とは全く違う、ただ単純に“不思議な”気分に陥りました。
どうして、僕なんだろう?
どうして、この人ではなく、僕なのか?
③癌は人を丸裸にする
僕達人間は様々なモノを持っています。また、いろいろと鎧や装束を身に着けています。
そんな自我(エゴ)のゲームは通用しなくなるのです。
ベンツに乗っていようが、社長であろうが、どんなに美しく強い肉体を持っていようが、ブランド品を身に着けていようが、財産や大きな家を持っていようが・・・。
あるいは、どんなにすばらしい実績や成果をあげていようが、他人から多くの賞賛を集めていようが、光あふれる未来が待っていようが・・・。
癌になるとこんなものは全て消し飛びます。
④老人が輝いて見える
ああ、この人はこの年齢まで生存しているんだ・・。
と、ただひたすら驚嘆と畏敬の念を持って老人を見ることが出来るようになりました。
それまでは「ただ単に長く生きることには意味がない」などと不遜な考えを持っていましたが、長く生きること自体がとてつもなく貴重なことだということに気づいたのです。
そして裏を返すと、自分はこの人たちの年齢まで生きることは到底不可能だろう、と。
⑤癌マークがあったなら
2017年の2月くらいから体力の低下や息切れが激しくなり、電車で立っているのがキツくなってきました。しかし、見た目の僕は普通の人。しかも、結構健康そうです。優先席の前に立っても当然譲ってくれる人はいません。妊婦さんの「おなかに子供がいます」マークみたいに
「私はがん患者で、体力が低下しています」マークがあればなぁ、と痛切に感じました。
⑥普通の人たちがうらやましく感じる
「ああ、この人たちには未来があるんだな~」
「この人たちは歳をとる、生きる時間がある、ということが許されているんだな~」
と、周囲の人たちが見るたびに感慨深く感じました。
⑦涙もろくなる
自分の不安や恐れに日々さらされていたせいでしょう。
少しでも優しくされると、泣きたくなりました。
ドラマやアニメで心を打つシーンを見ると涙が止まらなくなりました。
⑧何かに追い立てられている感じで、落ち着けない、いつも焦っている
常に後ろから何かに追い立てられている。追い立てられているのに、恐くて後ろが振り向けない。追い立ててくるのは・・・
そう・・・「死」です。
自分には時間がない。生きる時間がない。時間がないと感じているくせに、焦って何にも手がつけられない。ゆとりがない、余裕がない、リラックスなんて到底出来ない。
どうにかしなければ! と常に焦ってしまう。
⑨『エンドレス思考』に占領される
どうやったら癌を消せるか! ということしか考えられなくなってしまいました。
ぼ~っとしていて、ふと気づくと“癌を消す方法”みたいなことを、エンドレステープのようにグルグル考え続けているうちに1~2時間経ってしまうこともざらでした。
面白いことに、頭の中を巡る思考は、始まりから終わりまで、セリフまでも一緒なのです。
全く同じセリフを最初から最後まで、何度も何度も繰り返し頭の中でしゃべっている状態・・・・。“エンドレス思考”に取り付かれてしまった状態です。
⑩体調の変化を無理やりポジティブにとらえる
咳がたくさん出てきても・・・
血痰(血の混じったタン)が出てきても・・・
首のリンパに転移して、米粒大のシコリがボコボコと出来てきても・・・
骨転移で骨が痛くなって歩く動作にすら支障をきたしてきても・・・
咳をして肋骨にヒビが入って強烈な痛みとともに、ボコっとふくらんでも・・・
身体がダルくなって身体を起こすことすら、おっくうになってきても・・・
全てポジティブに
「これは治っていく過程なんだ。治っている証拠だ」
と強引に意味づけをしていました。
ポジティブに思い込むことで、ネガティブを感じないように必死だったのです。
真の勇気とは、自分のネガティブな状態をも事実として受け取る、ということです。
僕にはその勇気がありませんでした。おかげで癌はどんどん進行してしまうことになるのです。
⑪ゲームが出来なくなる
それまで時々子ども達の買ってきたゲームをやっていましたが、癌になってからふと時間つぶしにやってみたところ・・。
急速に手足が冷たくなり胸が締め付けられて苦しくなり、頭が痛くなりました。
それもそのはず、ゲームとは基本的に戦闘が中心の交感神経を刺激するものです。
交感神経が刺激されれば、血管は収縮し、血流が悪くなります。
そして、がん細胞が刺激されて増大を始めるのです。それ以降、ゲームはやっていません。
⑫小説が読めなくなる
小説という虚構の世界に没入できなくなりました。
小説を読むのにはエネルギーが必要です。
そのエネルギーがサバイバル思考に全て吸い取られてしまっていたのですから、小説は読む気にすら、なりませんでした。
そうやって僕はどんどん追い詰められていきました。
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